ゆとりが叫ぶFuck the World

アラサーゆとり世代が映画、音楽、ゲームなど自分が今まで接してきたもの通じて感じたことを残す記録

呪詛 【ネタバレ感想】それは母親の愛か、人間のエゴか

呪詛を見ました。

各所で結構話題になっていて、正直見る気はなかったのですが、3連休暇だった、Netflixで結構上位にランキングされているホラーなんて珍しいということで見てみました。

結論から言うと絶賛ではないです。映画通して見たことあるような演出でこんなもんかと思っていましたが最後を思い返すとそりゃズルいよといった感想です。

呪詛

あらすじ

主人公のルオナンが何やら動画に映像を収めているところから始まります。

6年前に大きな時間があり、その影響で色々な人に不幸が降りかかると。

そんな自分を皆さん救ってください、救うためにはこれをしてねと。

そんなこんなありながら離れ離れになった娘と一緒に暮らせる日々を取り戻り、その幸せな日々をビデオに収めるが、そんな幸せな家庭にも不穏な空気が流れはじめ・・・

その原因はやはり6年前のあの事件が原因であった・・・

 

という物語。

 

 

総評

正直ホラーとしては目新しさはないといった感じ。禁忌に踏み入った若者たちが痛い目を見ると言ったらそれだけ。その痛い目の表現方法についてもそこまで新しいものはなく。そこまで怖いかと言ったら飛び抜けて怖いわけではない。

また表現方法のPOVについても一貫しているかといったら一貫してない。あの人はカメラ持ってるよな、それならこの映像は納得できる。けど待て待てこのアングルの画像は誰が撮ってるんだよというのはしばしば、なので完全なモキュメンタリーではない。一方ではファウンドフッテージものではあるとは思う、編集されているようであるし、最後にある映像が入れこまれているので誰かが編集した映像ではあるのかなと。

しかしここまで整理して思うのはそれならいろいろあったけど動画配信サイトに投稿された動画のまとめ、Live配信のまとめという体のほうがきれいに行くのではと思う。夜娘と遊ぶ自分の配信、呪われて困ってますの自分の配信、そして6年前のあの事件を投稿する。最後にはあの地下道に行くのでLive配信。最後にあれが写ってドーン、終了。といったほうがルオナンのしたいことはきれいにまとまったのではと(最後の主人公が死ぬところまで映ると誰がこの動画残したんだよとは思う)。ドゥオドゥオのあの映像は次につなげるためだったのかもしれないが上記の流れのほうがきれいではと思う。(それでも誰が撮ってるの問題は解決できないが。今後もしかしたら他の誰かが撮っていたというのは言及があるかも?)

 

ということでモキュメンタリーとしては微妙だがPOV作品としては十分な出来ではあった。

 

じゃあホラー表現として新しいものはない、モキュメンタリーとしてもどうかといった部分でそんなもんじゃないのかと思うが肝はラストである。

ラストシーンで今まで見ていた観客をすべて巻き込むような仕掛けがある。正直最初のこれは祈り、救済のための手段と言われても、はいはいどうせこれが逆方向の働くんでしょというのはなんとなく想像できた。しかしはいはいそうですね予想通りですと達観しているところに、急に映画側からそうなんですこれはあなた(モニターの前の視聴者自分自身)に向けたものなんですと明かされます。いやいや待てよそれは聞いていないと、俺とは違う世界と思っていたらNetflixでこの作品を見ている無数の人間に刃を突き立ててて来るのです。そして衝撃的な映像とともに「あなたの名前は?」という視聴者個人についての問いかけで終わる。

見終わったあとは実際のところなんとも思わなかった。その後普通に生活を送っている中でなんとなく胸に突っかかった感じがあり、何か部屋でものが落ちるだけであれもしかしてという感覚になる。そういったネットにある洒落怖などの次はお前だ、これを聞いたら呪われる的な怖さがある。これはある意味で最新のネットを使ったホラー映画だなと感じる部分と、それはずるくないか?というもやもやも残る部分でもある。

 

というように飛び道具を使いながらもあとに残る怖さはあった作品だと思う。

そういったラストが印象に残るが何よりも母親ルオナンの行動が印象に残る。

自分としての結論は結局自分勝手な人間なのではないかという結論になった。

序盤から母親としての使命に目覚める部分、そして子を守る母、子を守るために奔走し、周りを犠牲にしながらも呪いを広げて薄めるという方法で子を助ける決断に至るというのは理解できる。

しかしそもそものルオナンは学生なのかわからないが何も考えずにカルト的な宗教の根城に何食わぬおで乗り込む、そこに巫女の女の子がいてそれどこれではないけど助けないととわめき散らす、結局自分も助からずそこから逃げ出す。そして精神科に行くが子供が心配なので退院したあとに自ら呪いを撒き散らす、そこで何人か死ぬ。なんやかんやあっていろんな人が死ぬ中子供を助けるため断食などいろいろするが自分だけは飯食っちゃうし、最後には地下道の鏡を割る、儀式を完成させる、子供の像の向きを変えて呪いを外向きにするなどやったあと、自分は仏母を見ないように目隠し、呪印防御しながら視聴者に呪いを向けるためあの布を取るなど、流石に自分勝手過ぎないかと思う。

というのも多分冒頭のシーンで里親にドゥオドゥオ迎えに行く場面で、ドゥオドゥオが大きなぬいぐるみを欲しいといったシーンで、ルオナンはいいわよというが里親の常識人がそれはみんなのものだから我慢しようねと言う場面がある。ここからわかるようにルオナンはそもそも自分勝手な人間なのではないかと思う。

そう考えてもう一度見ると自分勝手な人間の自己救済、自己援護のための数時間を見せられているようでまた見方が変わってくるのが面白い部分である。

 

というようにこの映画の主題であるが見方が変われば感じ方捉え方も変わる。

この映画を可哀想な母子の愛の物語と見ることもできる。また自分勝手な若者が自分勝手なことをして、その後も自分勝手なやり方で解決方法を探すとも捉えられる。

 

というように見方による議論とラストシーンによる拡散でこういった大きな話題になっているのだと思うのである意味成功作だとは思う。

自分自身こういった土着信仰的なゲーム「SIREN」や映画「ミッドサマー」そして「食人族」「グリーンインフェルノ」などが好きなのでそういった設定を含めて楽しむことができた。

しかし見せ方としては普通であり、その映画外の交流や発信を含めて全ての映画体験が完結して評価されているようではどうかなと思う部分はある。ある意味で新しい映画体験なのかもしれないが自分は2時間そこらの映画体験ですべてを納得させて終わらせてほしいという考えはある。

 

つまらなくはない、面白い作品なのでぜひNetflix入っている人は見てください!

 

※気になるところ

・Youtuber兄弟のいった村は悪くはなくないか?呪いを自分の親族内で完結させて他に出さないようにしていたのだからそこまで悪くないように感じる。

 

・6年前に村にいた巫女は未だに仏母の依代になっていたのか、なぜあのタイミングで病院に現れたのか。

 

・ドゥオドゥオがラスボスになるのでは?ルオナンはあの6年前に堕胎していた?(股から血が出ていた描写)その後巫女に諭されなんか変なもの飲んで神の子を妊娠した?結局その後仏母の依代はドゥオドゥオになっていたのでは。それを迎えに来ていたのがこの物語。最後の城の話からわかるようにドゥオドゥオは仏母と同化しており元の村に帰りたがっている?

 

 

こんなこと書く時点でこの作品楽しんでいるんですよね。

みなさんも色々考えられるので見てください。