ゆとりが叫ぶFuck the World

アラサーゆとり世代が映画、音楽、ゲームなど自分が今まで接してきたもの通じて感じたことを残す記録

ナイトクローラーとyoutuber

3連休暇だったのでナイトクローラーを見ました。

2014年公開でジェレン・ジレンホール主演です、彼は自分の大好きな「ドニー・ダーコ」に主演していて、独特のダルそうな、憂いのある眼差しがなんとも言えない俳優です。

簡単なあらすじは、盗みで生計を立てていたダメ男がパパラッチとして報道用の動画を撮って成り上がっていく話、次第にその映像は過激になっていって・・・

 

この映画見ていて感じたのは今のyoutuberに当てはまるものがあるということ。最近ではヒカルくんの問題などもあって 、どこまでが視聴者に許容され、拒絶されるのか。一方UUUMの上場など市民権を得たかのように感じる部分など、未発達でルールが曖昧だからこそ注目を集めている業界だと感じます。

 

この映画とyoutuberの共通点としては、視聴数、刺激度のためにどこまでやっていいのか、そこでは法に触れなければ何をしてもいいのかということです。

映画の主人公はいい画を撮るために、最初は死体をいい感じに配置するために移動させたり、死にそうな人を助けなかったり、人の家に不法侵入したりします。主人公は初めて動画を売り込む時、次はどんな動画が売れるんだ?血みどろか?血みどろものなのか?としきりに聞くんですよね、やっぱり視聴者が過激なものを求めてるって撮影者もわかってるんですよ。

一方youtuberもどんどんと過激にことをして視聴率を稼いでいます。たとえばヒカルくんの祭りに本当に当たりがあるのかすべて引いて見たや、他の投稿者ですが警察の前で白い粉を落としてみたなど。前者は法をおかしてはいないですが、いわゆるわかりきったこと、普通に考えて祭りでPS4を当てて持って帰っている人なんて見たことないですよね?それをあえてやって、分かりきったことをセンセーショナルに伝える。俺が悪を暴いてやったぜと伝えたりする。自分はあそこに当たりがあるとは思ったことがなく、ある意味で祭りの楽しみ、雰囲気を楽しむものだと思っています。それを彼はいかにも自分がヒーローのように暴いてやったぜと投稿をする。小・中学生くらいの視聴者なら良いかもしれませんが、ある程度の年齢層になると流石のなんとも思わないのではないですかね。

また、白い粉を落として警察に追われる動画などは逮捕などされ法に触れています。これは普通の人が考えること、白い粉落としたらどうなるだろう、警察に追われるのかなーとか、普通に考えたら、常識的、倫理的に辞めるべきことを、動画というフィルターをとうしたことでやってしまっている良い例だと思います。

こういう法的、倫理的な線を視聴者のために、自分のために超えるのかというのが今の動画配信とこの映画とても似ているなーと感じるところでした。

 

またこの映画では、他のパパラッチを蹴落とすシーンがあります。他のパパラッチが事故を起こしたシーンをテレビ局に売り込むシーンです。

これは今のyoutuberでもよく見ることで、不祥事を起こした配信者や何か黒い噂が立った配信者のネタを使って視聴数を稼ぐことです。ここら辺の蹴落とし合いも良い感じにyoutubeを思い出すものでした。

 

最後に、映画では主人公動画を売りにいくとあまりの過激さに、こんなもの放送できない、と突っぱねるシーンがあります。すると主人公の動画をずっと買っている女性ディレクターがなんとしてもこの動画を流すと声を荒げるシーンがあります。他の人倫理的にやばいですよみたいなこと言うんですが、彼女は彼の撮った動画が私たち配信側を次のレベルに上げていってくれれると言うのです。これ配信側の動画によって受容する側、視聴者のレベルも上がっているってことだと思います。過激な企画に慣れてくる、そして慣れた視聴者を喜ばせるため、視聴数を稼ぐため過激な映像を撮影する、終わりが見えない流れになるんですよね。撮影する側も視聴者求めていると思って、自分が正義だと思って過激な行動を行う。倫理観が麻痺していって、最悪法を犯す。こうなりかねない、実際なっているとこも少しはあると思うんですよ。

視聴者は自分は楽しいもの見れるし、悪い思いしないからと思っているけれど、そういった過激な行動に少しは影響を与えていると考えるべきなのかもしれないと痛感しますね。また法を犯さなくても、ヒカルくんみたいに自分より金稼いでたりすると妬ましくなって一斉に叩くなど、自分たちが散々楽しんで、持ち上げたものをどう落とし前つけるのか、落とし所を見つけるのかが難しくなっていると感じますね。